エラー・エラー

 "何でこの人じゃなければ駄目なんだろう。"

 俺はもう何度も何度も心の中で、時には一人きりの部屋で呟いたセリフを暖房が切れて冷えた空気に向かって吐き出した。救われない言葉は白い靄になって空中に飛散し、跡形もなく消えていく。聞こえていないはずなのに、まるで応える様に隣で眠りこけるユウジさんがムニャと場にそぐわない寝言を呟いた。俺はそんなユウジを見遣って思わず苦笑をしながら、首筋に残る自分が付けた赤い痕に指を伸ばそうとする。が、触れる一歩手前でその指先は動きを止め、だらしなく白いシーツへの上へと着地をした。
 その代わりに喉の奥から搾り出すように言葉をユウジさんに向かって呟く。

 「ユウジさん、好き」

 届かない、何度身体を重ねても俺の心はこの人に届かないのだ。


 光はいつでも俺を抱く時、悲しそうな遠い瞳をしていた。
 必死に眉を寄せ、瞳を涙で滲ませて、何かを掬うように唇に吸い付く。そして俺の口から漏れる喘ぎ声に満足そうに微笑んで、行為の途中で気持ち良いかと問いかけるのだ。当然そんな余裕なんて持ち合わせていない俺がその問いかけに満足に言葉を返せるはずがなく、単純に「好き」と呟くのが精一杯で。しかしその度に財前の瞳の翳は濃くなっていく。

 「ユウジ、さん」
 「あっ、んあっ…」

 光が自分の名前を呼ぶ。その心地良さだけで達してしまいそうになる自身を抑えながら、俺は財前の瞳を見上げた。キラキラと煌く瞳に嬉しそうに顔を赤らめる自分が映っている。ああ、光からはこんな風に自分が映っているのかと思うと、更にその赤みが増したような気がした。

 光が自分の事が好きだと零したのはもういつの日のことだろうか。その時はまだ小春だけに夢中の時代で、俺がその気持ちに答えることは出来なかった。だけれども突き放すこともしなかった。それは同情だったのかと問われれば決して否定する事は出来ない。小春が好きなのに報われない自分を重ねていたのではないか、何度も他人に厳しく掛けられた言葉を反芻しては過去の自分に嫌気がさしてくる。
 けれど今自分の中に確かに存在する感情は、そんな薄っぺらい2文字で表わせる言葉ではないはずだ。確信はある。だけれど一度でも曖昧にした物の輪郭をハッキリさせるというのは酷く難しいもので、例え身体を委ねても光が俺の気持ちを信じてくれることはなかった。

 届かない、何度身体を重ねても俺の心はこいつに届かないのだ。


 ぐちゅぐちゅという水音が部屋に反響し、その合間に聞こえる俺たちの吐息が耳に飛び込むたびに、自分の下半身に熱が集まるような感覚に陥っていく。太陽が落ちきったせいか既に窓の外は暗く、遠くの廊下から差し込む僅かな灯りだけがユウジさんの赤く火照った肌を照らしていた。時折その灯りを拾ってきらきらと反射する汗を舌で舐め取る。その度に下から聞こえる艶かしい声に更に意識が加速していくのを感じた。
 部活が終わった後、戻った校舎内でユウジさんとこのようにセックスに励むのはもう何度目になるのだろうか。初めてこのような行為に及んだのは確か、まだ木々が青々とした葉をつけていた時期だったような気がする。何度も愛を呟いても受け入れてくれないくせに、決してその気持ちを拒まないユウジさんを無理矢理抱いたのだ。だけれどこの人はその最中、一度も「嫌だ」と口にしなかった。強姦紛いの事をされているのにも関わらず、代わりに何度も何度も「ごめんな」という言葉を呟いて、俺の行為を受け入れたのだ。

「ひかっる、何考えとるっん…っ」
「…別に何でもないっすわあ」

 訝しそうに眉を顰めるユウジさんの気を逸らさせようと、身体に更に奥深く入り込むように身体を沈ませる。その途端、ユウジさんの身体が大きく揺れて、彼の身体を支える机がギシリと音を立てた。既に反り立った彼のペニスから垂れた先走りの液体がポタリポタリと腹部に落ちてツーッと床に垂れていく。ユウジさんの口から零れるのは既に理性ある者が持つ言葉なんて物ではなく、ただ快感に溺れて喘ぐ動物のそれと違わぬものであった。
 ユウジさんが俺の行動で気持ち良くなってくれればそれでいい―…いつからか俺が彼に求める感情は『愛』なんて綺麗な言葉では彩れない汚い物になってしまっていた。未来へ通じる繁殖はおろか、通じ合った愛情さえ持たぬこの行為に何の意味があるのだろうか。自己満足という言葉で解決できるはずもない。

「ひかる、好き」

 先輩はうわ言のように喘ぎ声の合間にそう言葉を紡ぐ。

「先輩、別に気ィ使ってもらわんでも大丈夫っすわぁ」

 そう先輩に言葉を返すと、先輩の瞳がキラキラと僅かに飛び込む光を反射する。その光の正体に気付いたのは、光が集合体となって先輩の米神を流れ落ちた時だった。
 …先輩が泣いている。
 そんなに俺のことが気持ち悪いのだろうか?それとも鬱陶しい?心の中に生えた醜い希望という木々がザワザワと音を立てて、恐怖の風に揺れる。それでも未だに醒めない自分の下半身が悲しくて堪らなかった。
 俺は先輩の瞳から伝うしょっぱい雫を舌で舐め取って、彼の腰を持ち上げ自分の傍へと引き寄せる。繋がった部分からグチュリという音が響いて、先輩の体が一つ大きく撓った。その瞬間彼のペニスから精が吐き出され、ビュッとビュッと彼の腹部に白い液体が溜まる度に、先輩の中に俺が精子を吐き出すたびに、唇から甘い声が漏れる。俺が与えた吐精感に先輩の瞳がウットリ恍惚に染まった。この意味もない行為に無理矢理意味を持たせるとするのであれば、この瞬間、この人の顔が見れること位なのかもしれない。

 しかしながら、その何ともいえない妖艶な顔つきに俺の下半身の熱は再び加速していく。「あかん」と思ったときはもう遅かった。本能のままに抜きかけた自分のペニスを再び一気に先輩の奥底へと戻す。つい先ほど吐き出した精子が潤滑油のような働きをしているせいか、難なく最奥へ辿りつき、先輩が一番悦ぶポイントを重点的に突き出した。
 当然、終わったものだとグッタリとしていた先輩の体が驚きに揺れる。

「光っ、やっ、抜いって…」
「先輩、先輩、先輩」
「あかん、も、俺無理!」

 それから俺も先輩も一言も"日本語"を話す事はなかった。よく分からない感情と快感だけを含んだ雄たけびを上げながら繋がり続ける。グチュリグチュリという音が時計の秒針の音にリンクして、時折その音がやみ、また加速していく…その繰り返し。そして気付いた頃には辺り一面自分達の体液ばかりが飛び散っていて、先輩が俺の頭を抱えるようにして泣いていた。

 よく、分からなかった。

「先輩、気持ちよくなかったん?」
「…光、ごめん、好き、ごめんなあ、好きなんや」
「そっかぁ、気持ち良かったんやな。よかった」

 俺がそう言うと、先輩はウワァァと大きい嗚咽を上げながら俺の胸に雪崩れ込み、そのまま意識を失うように眠りこけてしまった。無理をさせすぎてしまったから仕方のないことだけれども、少しだけ淋しい。
 暗がりの俺たち以外誰もいない教室を見回す。既に殆どの学校関係者が帰宅の途についてしまったのだろう、遠くで光っていた廊下の灯りも何時の間にか消されており、部屋に点るのは窓から覗く月明かりと、消火栓の位置を告げる赤いランプのみになっていた。そこから発せられた赤く煌々と照らされる灯りが俺たちを照らす。まるで俺がこの世界のエラーであるかのように、真っ赤に、真っ赤に。
 俺は先輩の顔を抱え込みながら大きな声を上げて泣いた。

 先輩知ってるよ、俺はね、とっくに―…。

MiyakoSakana